当院の沿革概要、野洲病院と京都大学

●当院の概要沿革

1. 名称
市立野洲病院
英語表記 Yasu City Hospital
医療機関コード 1301232

2. 所在地
郵便番号:520-2331
住所:滋賀県野洲市小篠原1094番地
電話番号:077-587-1332 (大代表)
電話番号:077-587-5528 (総務課)
FAX番号:077-587-5004

3. 開設者
野洲市長 栢木 進

4. 管理者
野洲市病院事業 病院事業管理者 前川 聡

5. 病院長
市立野洲病院 病院長 福山 秀直

6. 診療科目
総合内科、脳神経内科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、糖尿病内分泌内科、腎臓・人工透析内科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、放射線科、リハビリテーション科、麻酔科、健診科

その他外来: 
内科物忘れ外来、睡眠関連疾患外来
小児科小児心臓外来
外科乳腺外科
整形外科専門外来: 手外科・腫瘍専門/手・足/肩・肘/骨粗しょう症
装具外来
眼科コンタクト外来
その他糖尿病教室、フットケア外来、補聴器相談

6. 病床数
199 床(急性期;55床、慢性期;55床、地域包括;48床、回復期;41 床)

7. 職員数 ※令和5年4月現在
総数 362 名 (※うち、管理者1名、非常勤医師78名を含む)

8.当院の沿革
当院は令和元年7月1日に民間の前病院解散により譲渡を受け、野洲市病院事業・市立野洲病院として発足いたしました。
前病院は、昭和34年11月26日に野洲市小篠原1094番地に「野洲診療所」として開設され、昭和39年8月1日に「野洲病院」として開設されたことが始まりです。また、当院の建屋構成は、東館(昭和55年11月15日竣工)、西館(平成3年5月1日竣工)、北館(平成11年12月1日竣工)となっております。

●野洲病院と京都大学

 創設者の山田常道先生は京都帝国大学昭和14年卒で、自宅がある大篠原の診療所から現在の野洲病院がある小篠原に病院を建てられたのが昭和34年です。先生は、旧制高等学校の第四高等学校昭和10年卒、京都帝国大昭和14年卒で、本庄一夫第一外科学教授、深瀬政一第二内科学教授と旧制高等学校、京都帝国大学で同期だった関係で、医師支援は京都大学の両教授の関係で行われていました。また、京都大学老年科の桂英輔教授は山田先生の第四高等学校の3年先輩で、その後、老年科助教授の竹内三郎先生(昭和17年第四高等学校卒)が院長で来られた理由でもあります。旧制高等学校の結びつきが強かったことが伺われます。
 当時は医師の確保に苦労されたと思いますが、第一外科の本庄一夫教授の教室から昭和30年卒の内山輝美先生、第二内科の深瀬政市教授の所から昭和34年卒の佐竹喜三男先生が来られました。両先生ともに腕は確かな先生で、当時の野洲病院は近辺に頼りになる病院もなく、信頼されていました。
 京大老年科からは、亀山正邦教授、竹内三郎院長により、佐古伊康先生が昭和41年頃から当直で約20年間働いておられます。当時は、大学紛争の余波で医師の就職が大変な時代でした。その後富士見団地で開業されることになった第二内科の岩手医大昭和35年卒の本田弘先生、京都大学昭和38年卒の山田秩先生などが常勤扱いで昼間の診療をしておられました。
 京都大学の内科系は、岩辻賢一郎(昭和52年卒)、岡江俊二(昭和55年卒 昭和57年より昭和59年まで)先生、非常勤は 若月芳雄、工藤寛之(昭和55年卒)先生、血液内科では土曜日に第二内科の髙橋隆幸(昭和45年卒)が外来を担当されていました。岩辻先生は、昭和56年から常勤、非常勤として神経内科を担当し、平成12年まで勤務されていました。その後、猪原匡史(平成7年卒)先生が平成13年から平成18年頃まで週1回で神経内科の外来を行なっていました。さらに、平成18年9月からは、徳島大学准教授から、滋賀に移ってこられた野寺弘之先生(平成5年卒)に外来を引き継がれました。
 京都大学の外科系は 本庄一夫教授の第一外科から、内山輝美(昭和30年卒 野洲病院初代院長)、昭和55年10月あたりから神田雄史先生(昭和55年卒、現長浜市民病院院長、第一外科学、戸部隆吉教授より)赴任、ついで平田忠敏(昭和42年卒)副院長が昭和56年4月に赴任され、その後、河野保先生が(平田忠敏先生の後任、札幌医大、昭和48年卒)京都大学第一外科学講座より赴任されました。
 平成25年から令和2年1月まで、岡田裕作先生は(京都大学昭和48年卒、滋賀医科大学、泌尿器科教授)病院長として赴任されました。

昭和34年頃の野洲病院

昭和43年頃の野洲病院

昭和54年頃の野洲病院

脳神経外科:滋賀医科大学から中洲庸子先生(昭和53年卒)が昭和59年常勤で赴任されました。
放射線科:昭和58年頃、非常勤で京都大学放射線科から富樫かおり先生がインターベンションで来られていました。

理事長は 山田常道、竹内三郎、福井淳博(京都大学昭和34年卒、守山で小児科開業 京都大学神経内科学、木村淳教授と昭和28年京都大学入学同期)

(多くの先生から情報をいただきました。中に故人も含んでおります。敬称略)

文責:市立野洲病院 病院長 福山秀直(京都大学 名誉教授)

昭和55年頃の野洲病院

昭和55年頃の野洲病院

平成3年頃の野洲病院

平成11年から現在の市立野洲病院